こんにちは、くろもぐらと申します。以前は地元の地方都市で建設業の下請けの現場管理なんかをやっていました。今年の6月、有給などもあったから実際は5月に会社を辞めました。
若い時期は都会でフリーターやパチンコ屋の社員などをしていたけど、祖父母が亡くなって何時までもこのままじゃいられないと地元に帰り、親戚の紹介で今の会社に入って4年が過ぎていた。
一緒に働く職人さんはクセや世代の違いはあってもイイ人達で、幾つかの現場で一緒に仕事をしていくとすぐに打ち解けた。上司は誰にでも口が悪いけど仕事への細やかさや責任感は尊敬出来るものだったし、つらい環境で働く職人さん達へのフォローや、「最初は薄給で働かせられる若い職人にも投資する意味で食べていくに困らない支払いはする」といった考え方は共感出来た。 忙しくて月にまともな休みなんて1~2日しかなかったし、毎日朝5時起きだったけど19時には家に帰れたから体はまぁ大丈夫だった。給料も歩合は上司の仕事を分けてもらうような感じだったが4年目からは更に自分の仕事として区切ってもらい、こなせば歩合もしっかりに入るようになった。忙しさには文句があったが30過ぎの未経験の人間をポンと雇ってくれたのだと、そこは許容していた。
今年に入って事件は起きる。上司が体調が悪くなり入院した。
元々、仕事ばかりしていたような人で身体を気遣うような人ではなかった。仕事に人生のほとんどを捧げているようなあまり休みも取らない無茶苦茶な生活をしていた人だった。酒・タバコが大好きな人だったがヘビースモーカーなのがたたったのかここ最近咳込む事が多く、僕は検査を含めた入院すると聞かされる前から簡単には治らない、通院など長い期間必要であろうことを覚悟していた。それは過去に元気だった先輩が急に入院し、その後癌で亡くなった経験がそう思わせたのかもしれない。 僕は悟ったように密かに上司の仕事の引継ぎ準備を始める。ウチの会社はそもそも小規模事業者で社員は数名しかいない。その数名がそれぞれ顧客を持っているが皆それにかかりきりで他の顧客を請け負う余力は無かった。この会社は採用は社長に委ねられていたが、採用に積極的な人ではなかった。昔ながらの「ご縁があれば…」みたいな感じだ。それは自分が入ってからの4年間で後輩が1人もいない事や、そもそも人付き合いが苦手な方で会社にもほとんど顔を出さない事からも感じれるものだった。そんな中、上司の直属の部下の自分に入院中の仕事がのしかかる事は容易に想像が出来た。その膨大な量にこれは長い期間はもたないと思った。
実際に入院が決まり、仕事を整理しこなしていく。そこからは朝5時起きから夜11時くらいまでが毎日続いた。いつ終わるかもわからない大量の仕事だったけど職人さんのフォローもありなんとか穴を空けずに仕事を成立させていった。 ただ、急に決まった引継ぎだったし、とりあえず2週間ほどの入院だった為この先のことなど深くは決まってなかった。僕自身、これだけやっても残業代がもらえるわけでもないし、きっと歩合も貰えないか・おこぼれぐらいのもんだと思っていたが職人さんたちも状況を理解していつもよりしっかりと仕事をこなしてくれている。ご恩返しのつもりと自分も何も会社には言わなかった。
そして上司が2週間で戻ってきたが、病状は酷く入院と通院を繰り返さなければならない状態だった。当然まともに働ける状態では無いのは明らかだった。病状を聞いた僕はもう1人の上司に相談して、上司の病状と今の自分の労働状況からこの体制は長くは持たないから社長や他の先輩社員と相談して今後のことを早急に決めてほしいと伝えた。 この時すでに決めていた事がある。
「身体に目に見えてわかる異変が出たら、我慢はせずに会社を辞めよう」 と
闘病中の上司はそれでも仕事をやりたがった。俺はそんな上司とラインなどでやり取りをしながら仕事をする。そんな中、コロナの濃厚接触者になったときが束の間の安らぎだった。やれる仕事がが限られるし、何よりまともに眠ることが出来た。久しぶりに6時間寝れるのが幸せだった。しかしそれも過ぎればしわ寄せでさらに忙しくなる。上司は遠隔でも仕事をしていたから当然仕事は増えていた。そんな中1日のほぼ全てを仕事に充て、その大半を上司の仕事の時間に注ぐ。自分の任された部門の仕事がどんどん後回しになる。つまりは自分の歩合の入る仕事が出来ないということだ。忙しさに身体を任せて考えないようにしていた感情が噴出していく。
何故、何の見返りもないどころか…自分の収入を減らしてまでこんな事をやらなくちゃいけないんだ。
たまらず、再度もう1人の上司に話す。「話はどうなっていますか?何か決まりましたか?」 でも返ってきたのは「とりあえずやってみろ。」・「歩合の話はお前が(闘病中の)上司と話をして社長と話せ。」だった。この時引継ぎからすでに1ヵ月以上が経っていた。
闘病しお金もかかっているだろう上司にお金の話をするのは本当に嫌だった。そして相談をしたかった社長もそもそもマトモに出社していないし、僕は昼間は現場や外回りで会社に戻るのは18時を過ぎる。会社の勤務時間自体過ぎた時間なのだからいるわけもない。圧倒的な絶望感を抱えながら仕事をする。思い出してみればこの時が一番辛かった。そしてそこから1週間ほど経ってからだろうか…僕は眠ることが出来なくなった。
どんなに辛くても1日の最後に3~5時間ほどは眠れる。そこでリセットして仕事をする。これが自分にとっての最後の砦だった。最初の1日目は「クソっ!!眠れなかった!!」ぐらいだったが2日目は不安で頭がいっぱいだった。3日目は疲れと眠らないとという焦りと今日も眠れないという不安で気が狂いそうだった。4日目の夜、2時間だけ眠ったと思う。気絶や麻酔に近い感覚だった。その次の日はまた眠れなかった。
病院に行った。睡眠薬を貰った。生まれて初めて精神内科に行った。薬を飲めば眠れた。だが怖かったのはこの薬が切れた時にまたあの恐怖がやってくる。だけど都合よく仕事が早く終わって薬をもらいにいけるかわからない。この何とも出来ない状況と不安のせいで、僕は仕事の帰り道のトラックの中でボロボロ泣いた。
泣き終わって空っぽの頭になってから1時間程考えて、僕は仕事を辞めることを決めた。
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