僕は会社を辞めることにした② ~バイバイを言わなくちゃ編~

退職するまでのおはなし

外回りを終わらせ会社に戻る。時間は18時を過ぎていた。もう1人の上司と先輩が居た。いつもどおりみんな自分の仕事をしている。そう、定時に帰れないのは俺だけではない。みんな一緒だ。無論、俺は上司の入院中の仕事もやっているから22時を平気で過ぎるが、みんなも19時までやっている。明らかに人手不足。そんなのがあたりまえの状況なのだ。もう1人の上司が俺の「なんとかしてくれ」を軽く突き放したのも、こんな異常な状態が常態化していて感覚が麻痺していたのだと僕は理解していた。それでも恨めしい気持ちは正直あった。だけどいざその言葉を口にした時俺は笑顔だった。

「すいません、ギブアップです!会社を6月いっぱいで退社します。」

一瞬だけ シン…とした空気の後に冗談だろう?という空気になったが、眠れない事や病院に行ってること・上司の仕事をして自分の仕事が後回しになり翌月以降の歩合も減り、更に闘病している上司に自分が歩合の分配の話をしなければいけない事にも疑問があったこと、それが嫌だったこと。それらをすべて話した。上司はうなだれて、先輩は不安の表情をした。 続けて、一度も使ったことのない溜まりきった有給の消化を考えれば5月中頃ぐらいまではいる。仕事も休まずする。だから、この2か月以上あるこの期間を活用してほしいことを伝えた。

3日後、昼間にゆっくり電話をする時間をとれた僕は社長にも電話で報告した。「はい、わかりました。」と悲しくなってしまうほどアッサリな返事が来て俺の退職は決まった。

正直、傷病手当なんかを使って休むこももう1人の上司からは提案されていた。でもそれをしたくない理由は2つあった。

①自分が休めば、また戻ってくるからと先輩がしわ寄せをくらう。

②以前から人事を担当する社長の採用に対して消極的な姿勢に不安があった

①は単純に悪いなという気持ちと、じゃあ戻った時に更に先輩が倒れたり、休みが必要になったら結局それがループするだけになるのでは…それでは遅かれ早かれだと思った。俺が辞めるのだから仕事を割り振ったり調整したり、新たに人を雇う。そういう話を残ったみんなでしてほしかった。だが、更に本心を言えば主な要因は②の社長の採用への消極さに不安がだったことだ。高齢でお子さんも関東で仕事をしている為、現状後継者は居らず。新しい従業員の採用の話は無いし、社長自体は会社にもほとんど来ない。 また去年までは会社の工場には定年後に再雇用された高齢の加工職人さんがいたが、その方もいなくなり工場の片付けや雑務も自分が行っていた。それによる残業も重なり、半年前に自分の稼働とは関係ない雑務などの業務での残業代はいただけないかと社長に相談したことはあった。もちろん残業代は断られた。一部の手当てを増額するからなんとか…と明確に決まらないままはぐらかされた感じだった。そんな感じの人が今の危機的状況でこの先を考えた時、「自分ももう歳だし、年長組が定年(あと5年以内ぐらいの数年)したら会社を畳もう。」と考えやしないかと不安だった。あと数年、くらいついて必死にやってもあっさりと捨てられるのではないかという思いがあった。だからこそ長期休養なんて選択は勇気がなくて選べなかった。

※ここからは余談で、残業代の交渉後から「会社の車に乗って夜に買い物に行くなとか出勤に使うな」とか今まで社長からOKと言われていた事が急にNGとなった。だがそもそも勤務時間は毎日夕方遅くまでずれ込むし、遊びに行く休みもほとんど無かった。だから毎日現場への直行するから通勤に使わせてもらっていたし昔は了承も頂いていた。又、トイレットペーパーや洗剤などの工場の備品を買いに行ったり現場に急に必要なものをホームセンターなどで買わなければいけなかったので平日の夜にスーパーや薬局、たまの休日も昼まで寝てその後ホームセンターに買い出し行っていた。それが社用車を勤務外で使う98%ぐらいだったのだが会社に来ない社長からすれば知ったことではなかっただろうし、若いのに要望を言うだけ言われたのが気に入らなかったってのはあると思う。僕も確かに2%ぐらいは私用で使っていたから使用禁止には従った。だが確かにここらへんから社長との関係は悪くなっていた気がする。

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