僕は会社を辞めることにした③ ~祈りと呪い編~

退職するまでのおはなし

闘病で入院していた上司がまた退院して久々に会うタイミングが来た。上司は仕事の指示を出したくてしょうがない感じで僕を待っていた。上司は僕が戻るとガンガン仕事の話をする、それを遮って僕は会社を辞めること、5月末ぐらいまでは仕事を今まで通りすることを伝えた。それでも一通り仕事の指示を出し続けた上司は落ち着くと悟ったような表情で事務所の外にタバコを吸いに行った。僕もその姿を見た時には辛くて申し訳ない気持ちになった。だがすぐに切り替えて仕事をする。その日も遅くまで仕事をしてシャワーを浴び、ソファーで横になると、本当に2週間ぐらいぶりに薬なしで眠っていた。おかげで次の日は少し寝坊した。(遅刻はもちろんしない程度に)

そこからは更に一心不乱に仕事をした。病院に薬を貰うこと以外は全ての時間を仕事に充てた。そんな姿を見て上司達は「辞めなくていい、休養しろ」と言ってくれた。それでも、もしこの状況で自分がやっぱり休業して戻ってきますと気持ちを変えるには材料が足りないと生意気にもそんなことを思っていた。みんなで相談し上司の仕事を割り振る・又は一時的に制限する事や、社長が積極的に採用活動を始めたと認識できる事。これが無くては気持ちを変えられない、そう思っていた。入社5年の下っ端を留まらせるために普通の会社はそんなことしない。それもわかっていたが、この会社は数人の零細企業だ。下っ端一人抜けても業務に影響が出るほどの。だからこそ、そんな奇跡も起こるかもしれない。でも、基本的にはそんなことはない。僕は実質1ヵ月半ほどで居なくなるのだ。だから少しでもこの先に備えるようなことをして欲しい。話し合いをして欲しい。そう思っても…ちょっぴりだけ会社にも残りたいかも…みたいなコロコロする思いを仕事の忙しさで振り払い、ダサい揺らぎを悟られないようにしていた。

現場で作業をお願いする職人さん達はいわゆる一人親方という人たちで、フリーランスだ。だけど本当に気さくでいい人たちが多く、未経験の僕はくっついて色んな事を教わった。みんな忙しいから飲みに行ったり遊ぶような事もなかったが忙しかった分、仕事でしっかりとつながっている関係だった。苦楽を共にしたという言葉がぴったりと思うほど濃い時間を過ごした。そんな人たちに辞めることを言うのが辛かったが、言った後はみんなあっさり理解してくれた。だからこそ士気だけは下げないように、やはり仕事を頑張った。

だが仕事を頑張る理由を掘り起こすだけ掘り起こしてそれを糧に仕事をする。そんな生活は本当に苦しかった。僕はMOROHAの五文銭って曲を行き帰りの車の中で繰り返し聴きながらただただ仕事で時間が過ぎるのを待っていた。

「どこへなぜどうして?何をもってそこまで?いつまで 誰の為 なんの為に?追いかけ続ける問いかけの答え 答え…」

もやもやとした気持ちの中でこの歌詞を頭の中で繰り返していた。結局正解など無いし、どう転んでも救いなど無いのもなんとなくわかっていたからこそ、見つからない答えをただただ追いかけるだけでいいと思いたかった。

とある日社長に呼び出される。負担を君に押し付けてしまった…と謝られたが、「でも自分には何も出来ないから。」という言葉をいって淡々と退職の流れだけ話す姿を見てそれも平謝りだとわかった。それを見てなんだか楽になった。自分が会社でお世話になった人の為に~とか、会社この先を考えてくれるなら会社に残りたい…みたいな自分をゾンビのように働かせていた呪いのような、祈りのような気持ちは頭の中で塵になって消えた。そのころには仕事も落ち着き始めていたのも相まって僕はなんだか清々しい気持ちになっていた。 これだけ散々、恨みったらしい文章を書いてはいたが、実はそんなに社長を恨んではいなかったとこの時にわかる。社長からすれば先代からの会社を譲り受けたものの、従業員も年々少なくなっていく中で、後継者も決まらない。それなら会社を良いタイミングで畳みたいという気持ちが出るのは当然だし、ゆっくり老後を過ごしたいと思うかもしれない。そんなことを考えていたら辞めることに一切の躊躇もなくなった。ぐちゃぐちゃしていた思いから解放された気がした。

もう最後の出勤まで1ヵ月を切っていた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました